2019.6.13
経済・ビジネス

新1万円札の渋沢栄一は500社に関わったスーパーコンサルだった

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)
時代が令和に変わり、2024年度に紙幣の肖像画も変更されることが発表されました。その中で1万円札の肖像画に選ばれた人物が渋沢栄一(1840(天保11)~1931(昭和6)年)です。渋沢栄一といえば、明治から大正時代に活躍した実業家ということは知られていますが、「具体的にどんな活動をしたか」については意外と知られていません。渋沢栄一氏の多大なる業績を振り返ってみましょう。

実業家&スーパーコンサルだった渋沢栄一

渋沢栄一は、生涯に約500社の企業に関わったといわれています。自ら設立した会社もあれば、設立する人に助言をしたり、資金・人材集めの手助けや、時にはトラブルの仲裁にあたったりもしました。渋沢氏は、実業家であると同時に敏腕コンサルタントでもあったようです。さらに、企業の設立だけでなく約600もの教育・社会公共事業にも携わっており、その意味で渋沢氏は近代日本社会の礎を築いたといっても過言ではないでしょう。

渋沢氏が「日本資本主義の父」と称され、福沢諭吉と肩を並べて1万円札の肖像画に選ばれるほど重要視されているのも当然です。渋沢氏の実績は、現在の日本の経済界に多大な影響を与えています。具体的には、渋沢氏が行った「開放的な経営」がその後の、日本の株式市場や資本主義の発展に大きく貢献しているのです。

戦前の日本では、三井や三菱といった財閥が大きく成長しました。しかし、それらのグループではほとんどの会社が株式を公開していません。例えば、三菱電機が東京株式取引所にようやく株式上場したのは1930年代に入ってからでした。いわば閉鎖的な企業体質が中心だったわけです。一方で、渋沢氏が関わった多くの企業は株式会社として広く民間から出資を募り、会社を大きくしていく開放的な企業経営を行いました。その流れが近代日本の経済界の礎となったのです。

渋沢栄一がつくった会社は今、どうなっている?

渋沢栄一が関わった約500社のうち、6割前後の会社が現在も合併、国有化などを経ながらも何らかの形で存続しています。株式市場に上場されている会社でいえば、王子製紙(現・王子ホールディングス)、石川島造船所(現・IHI)、帝国ホテル、大阪紡績会社(現・東洋紡)、東京ガス、田園都市(現・東京急行電鉄)などがあります。

また、渋沢氏が1873(明治6)年に設立した日本最初の商業銀行である第一国立銀行は、1896(明治29)年に第一銀行に改称。その後、1971(昭和46)年に日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となりました。さらに、2013(平成25)年に富士銀行、日本興業銀行と合併してみずほ銀行となり、現在はみずほフィナンシャルグループという持ち株会社になっています。

まさに、明治から令和に至るまでの日本経済と歩みを共にしてきた会社といえるでしょう。なお、渋沢は東京証券取引所の設立にも関わっていることから、「日本資本主義の父」という呼称は的を射たものといえそうです。

渋沢栄一は先進的な技術の積極採用にも力を入れていた

大実業家になるには、「先見の明」も必要ですが、渋沢栄一はその点でも優れていました。企業経営は、理念だけで成り立つわけではありません。渋沢氏の功績として大きいものに、大阪紡績会社の成功が挙げられます。この会社で渋沢氏は相談役を勤めていましたが、同社の経営において合理的かつ革新的な判断を下し、先見の明を発揮するのです。

1892(明治25)年に、大阪紡績会社で大きな火災が発生しますが、この被災を機に紡績用の機械をそれまでのイギリス製ミュール機から、アメリカ製のリング機に一新する決断を下します。アメリカで開発されたリング機は、賃金の高い熟練労働者でなくても、女性や子どもでも扱える先進的な技術を用いた製品だったのです。

工場の機械を一新するのは大きな決断ですが、渋沢氏の合理的な技術選択がそれを可能にしたといえます。さらに、渋沢氏は原料の綿花も安価な輸入品を採用することによってコストダウンに成功します。このような渋沢氏の合理的かつ革新的な判断による大阪紡績会社の成功は、他の紡績会社の追随を呼び、やがて紡績は日本の中心的な産業に成長していったのです。

渋沢栄一は現代の経営に通じる考え方のリーダーだった

渋沢栄一が令和時代の紙幣肖像画に選ばれたのは、現代の企業経営に通じる考え方の持ち主だったことも大きな理由と思われます。渋沢氏の経営理念が優れていたのは、社会の公益に資する「倫理」と、合理的な企業経営の根底にある「利益」の追求を両立させたことです。企業として利益を上げたら、それを自社のものにするだけでなく、国や社会に還元していきました。

この社会貢献の理念は、CSR(企業の社会的責任)活動として現代の企業にも受け継がれています。近年では、新たに社会的問題解決と企業利益の両立を目指すCSV(共通価値の創造)という考え方が企業に広がりつつあり、渋沢氏はこれら一連の企業理念を戦前から実践していたことになります。渋沢氏が優れていたのは、企業経営以外に社会活動や慈善事業を行う団体においても、組織的・経済的に持続できるような体制にしたことです。

この企業経営の手法を取り入れたことが、約600にも及ぶ教育・社会事業に関わることができた大きな要因と考えられます。渋沢氏は、自ら寄付活動を行うのはもちろんのこと、自分の持つネットワークを使って社会事業の組織づくりを行っていました。企業や団体の運営においては何よりも「継続性」を重視していたのです。そのため、今でも存続している組織が数多くあります。

さらに渋沢栄一のことを深掘りしたい方は「渋沢史料館」へ

ここまでお読みになり、もっと渋沢栄一のことを深く知りたいと感じた方もいるのではないでしょうか。そのような方におすすめのスポットが、東京都北区にある「渋沢史料館」です。この史料館は、「近代日本経済社会の礎を築いた渋沢栄一の思想と行動を顕彰する財団法人である、渋沢青淵記念財団竜門社(現・公益財団法人 渋沢栄一記念財団)の付属施設として1982(昭和57)年に渋沢栄一の旧邸「暖依村荘」跡に設立された登録博物館(公式ホームページより)」です。

当初の資料館は、大正期に建てられた「晩香盧」と「青淵文庫」の2館だけでしたが、1998(平成10)年に本館を増設しています。本館は2階建てで、1階は受付の隣にミュージアムショップがあり、渋沢氏に関する書籍や財団の機関誌、絵はがきなどを販売しています。その奥の閲覧コーナーでは、渋沢関連書籍や、日本の歴史・経済に関する書籍を閲覧することが可能です。

2階は展示室になっており、常設展示室では渋沢氏の生涯と実績を分かりやすくまとめてあります。あわせて企画展示室では、その都度テーマを設定し特別展示を開催しています。場所は、JR王子駅前の「飛鳥山公園(あすかやまこうえん)」の中と分かりやすい位置にあり、自然が豊かなので家族で訪れるのもよいのではないでしょうか。

最後に注目すべき予測は、「今後キャッシュレス社会の進展に伴い、高額紙幣の1万円札が発行廃止になるとする予測」です。高額紙幣の廃止は、世界的な流れになっており、日本も偽造防止のほかにキャッシュレス比率を高める目的から、1万円札の変更は今度で最後になるとする見方もあります。そうなると、渋沢栄一が1万円札肖像画のアンカーということになり、今後一段と注目が高まることになるでしょう。

閉塞感が漂う日本経済に光明を見いだせるのか……渋沢栄一が描かれる新1万円札の登場は、紙幣マニアならずとも、期待をもって迎えたいところです。

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